治療と修理
治療と修理
では… 投稿者:リキボノ 投稿日:2006/02/11(Sat) 00:25 No.1233
恥をしのんで…。とあるサイトで盛り上がっている内容ですが…。
①“治療”
②“医療行為”と“医療類似行為”
について教師猫先生はいかがお考えでしょうか?
考えというか教師猫の考える“定義”というか教えてください。
Re: では… 投稿者:教師猫 投稿日:2006/02/11(Sat) 19:27 No.1234
リキボノさん。ようこそ。
>教師猫先生はいかがお考えでしょうか?
>考えというか教師猫の考える“定義”というか教えてください。
リキボノさん。教師猫は臨床現場の治療家です。
教師猫に限らないと考えますが・・・実は、限るのかもしれませんね。
『墨字からの問題』でも概説しましたが、教師猫の臨床現場には“定義”がないのが定義です。
教師猫は患者に応じ解答しますので、始めに『解あり』ではありません。
次に、相手にわかって(分けて)もらうために、何かと対比した説明となります。
>“治療”
治療とは、病気やけがをなおすこと。また、そのために施す種々のてだて。療治。と辞書には書かれています。しかし、この回答では・・・何かと対比しなければ、わかりづらい(分けづらい)と考えます。
リキボノさん。“治療”を“慰安”と対比するのと“修理”と対比するのでは、解答が異なると考えます。
>“医療行為”と“医療類似行為”
この回答についても質問者の条件によって、教師猫の回答が様々であることを含んで下さい。
指圧師から、『双方の違いを患者さんに簡単に説明するため』と質問されれば、 資格が不可欠な行為を“医療行為”、資格を必要としない行為を“医療類似行為”と回答します。
リキボノさんは“治療”と何を対比し、論じますか。再質問を待っています。
疑問 投稿者:とんび 投稿日:2006/02/17(Fri) 22:10 No.1239
>“治療”を“慰安”と対比するのと“修理”と対比するのでは、解答が異なると考えます。
という文章が目に留まりました。
治療と慰安の対比では治療の解答は想像がつきますが、修理と治療の対比において、治療はどう解答されるのかきになりなす。教えてください。
Re:疑問 投稿者:教師猫 投稿日:2006/02/18(Sat) 19:07 No.1241
とんびさん。こんばんは。
>修理と治療の対比において、治療はどう解答されるのかきになりなす。
>教えてください。 気になったら、是非、質問してください。回答は例の場所に書き込みます。
類似した質問にまとめて答えたいので、他に気になることや気になる方は即急に書き込んで下さい。
・・・ 投稿者:マル決 投稿日: 2006/02/18(Sat) 21:18 No.1243
こんばんは。初カキコします。
>治療とは、病気やけがをなおすこと。また、そのために施す種々のてだて。療治。と辞書には書かれています。しかし、この回答では・・・何かと対比しなければ、わかりづらい(分けづらい)と考えます。
とありますが、「・・・」が気になりました。何か意図があるのでしょうか?ただ読んでいて変に納得してしまうような書き方。HP内のどこかに書いてありましたが、答えなど書いてないと。自分は「・・・」を使うときは言うまでもないようなときに使います。
たしかに「病気やけがをなおすこと」「そのために施す種々のてだて」「療治」と書いてある3つがそれぞれの意味をもち、その状況で使い分けられるわけで。「赤いリンゴ」「黄色いバナナ」「黄色いボール」で仲間はずれはどれの話と同じですね。これらを分けるには“色”“形”“種類”等で分けられると思います。
慰安と治療、修理と治療比べるものがそれぞれ異なればその答えも違いますよね。「・・・」の意図みたいのを聞きたいです。言葉遊びによる文章構成みたいなやつなんですかね。
・・・。の意味 投稿者:教師猫 投稿日:2006/02/18(Sat) 23:22 No.1244
マル決さん。こんばんは。
初カキコとのことですが、今後もドシドシ書きこんでください。
>しかし、この回答では・・・何かと対比しなければ、わかりづらい(分けづらい)と考えます。
>とありますが、「・・・」が気になりました。何か意図があるのでしょうか?
『よく気付きました、見事です』と答えるより、『教師猫の文章を読み込んでくれてありがとう』と答えます。
>言葉遊びによる文章構成みたいなやつなんですかね。
教師猫流文章構成みたいなもので、上記の文章を正しく書けば『この回答では・・・。』となります。
『。』を意図的に省略し、サラリと読めるようにしたのですが、バレないまでも何か感じましたね。
『・・・。』を略さずに、簡単に具体的な短文で書けば、『治療の真の意味が誤解されます。』となります。
教師猫は臨床現場で、治療を『病気やけがをなおすこと』と感じたり、考えたことは一度もありません。
お答えします。
治療と修理について
“治療と修理”という用語は双方とも『なおす』という類似した意味を持ちますが、治療は“病気等を治す”ことをいい、修理とは“壊れ等を直す”ことをいいます。病気とは、生物の全身または一部分に生理状態の異常をきたし、正常な機能が営めない状態や様々な愁訴等が出現する現象をいいます。壊れとは、こわれた状態をいい、広義には病気も含まれますが、ここでは、治療と修理を対比し治療について概説しますので、『壊れ』という用語の狭義の意味である、“無生物”の破損や故障の状態を現す用語として用います。同様に『治す』を生物、『直す』を無生物を正常な状態に戻す意味を現す用語として用います。
病気を治すのは
上記したように、正常な状態に戻す“対象物”が生物か否かによって、『治す』か『直す』に区別できます。そのことで、治療と修理が明確となり、疾病治療に対する治療家の根本的概念が生じると考えます。
“対象物”が無生物で、さらに機械等の人工物であれば、如何なる破損での故障状態でも製造技術の応用により直すこと(修理)は可能となります。しかし、“対象物”が生物であれば、生命を作り出せない現代医療の技術レベルにおいては、身体の極一部のわずかな破損さえ、直すこと(修理)は不可です。病気を治すのは医療の直す(修理)技術ではなく、生命体自身が持つ治す力(自然治癒力)なのです。
病気は治せません。
“治療とは何ぞや”と問われると、教師猫は、『生命体自身が持つ自然治癒力』に対する“補助的行為”と答えます。人が生命を創造する技術を獲得すれば、病気を直すこと(修理)が可能となると考えます。
教師猫は、病気を直すこと(修理)が不可能で、治ることが可能なものと捉え、“補助的行為”の効率や再現性を高める目的で、押圧法の技術化に取り組んでいます。ですから、教師猫は辞書に書かれた、“治療とは、病気やけがをなおすこと”という解説に、治療の真の意味が誤解されると難色を示します。