14・基本の基礎の運命
“基本の基礎の運命”へんてこりんなタイトルとなりました。本来は『咲晩スタッフ養成講座』で取り扱う内容なのでしょうが、教師猫のカラーが強くなりますのでこちらに書き込みます。
“押す”と“圧す”は異なります
指圧(押圧法)は、疾病治療専門手技として、浪越徳治郎先生により創始されたものです。指圧という名称は、日本語で唯一の国際共通医療専門用語として、諸外国の医学書にも“SHIATSU”と表記されています。しかし、指圧と称されて普及している“圧する手技”は、本来の独自の“押す手技”である押圧法とは別物で、“圧迫法”と呼ぶ『異なる手技』です。
マスコミによる、“指圧という用語”の加速度的な普及に伴い、創始者の意に反して指圧の意味(定義)は拡大解釈されていきました。現在では、国(専門学校を含む)の指圧定義に押圧と圧迫の区別はありません。有資格者でも押圧と圧迫の別物意識は少ないようです。
押圧法では、押圧操作が必須です。押圧とは『押す』ことです。圧することとは異なります。しかし、写真から両者を区別し、断言することは教師猫でも不可能です。両者をその操作で判別することは、正しい押圧法認識がなければ困難です。唯一容易な判別法といえば、施術中に被術者が忽然と消滅した場合です。押圧操作では“自支”を必須とします。仮に、施術中に被術者が忽然と消滅したとしても施術者は倒れません。圧していたら倒れます。
押圧法の真髄に『診断即治療』があります。押圧法の“劇的”とも表現される指圧効果は、この技術により獲得できるものです。しかし、いきなり『診断即治療』の技術が学べるわけではありません。この技術習得には基本の基礎から積み上げる必要があり、それぞれにいくつもの必須条件が課せられます。押圧法に“王道”など絶対に存在しません。
押すことにこだわる理由
教師猫が“押圧法にこだわる理由”は、押圧法は単なる手技の一流派ではなく、押圧法に医学的安全性や他覚的治療効果が明確に認められるからです。押圧法は“押す手技”で“押せなければ”押圧法ではなくなります。それでは、安全性や治療効果も望めません。
押すためには
押圧法は、創始者の浪越徳治郎先生が、医学的に有効活用できる知識と技術の習得に“専修でも4~6年間”の修業が必要と法制化準備時から国に提案し続けられた手技です。
押圧法では、〔押圧法の必須条件と非必須条件〕の中の必須条件は、当然欠かせません。〔咲晩スタッフ養成講座〕の操作を確実に習得し、“基本の基礎”を正確に築いてください。基礎の習得に妥協は許されません。必ず、上を見ないで、下を見て積み上げてください。
しつこいですか・・・。そうですね、かなりしつこいですね。
でも、読み飛ばさないでください。教師猫が“基本の基礎の運命”と題し〔教師猫のポッケ〕に入れた理由や現時点で語るに語れない何かを感じたら、感じ取ってほしいのです。
掲示板へ書き込んだ奇異な警告
最近、教師猫は掲示板に奇異な書き込みを行ないました。要点のみ抜粋します。
厳重注意 投稿者:教師猫 投稿日:2005/09/13(Tue) 14:25 No.759
〔指圧研究会・咲晩〕スタッフ養成講座受講生諸君。
こんにちは。教師猫です。教師猫から皆さんに厳重な注意をします。
近々、〔指圧研究会・咲晩〕メンバー(スタッフ養成講座講師)に『ある高度な押圧操作』の指導を開始します。この押圧操作は、浪越徳治郎先生からの教師猫相伝の技の基本で、臨床現場での押圧効率が最も高い操作法です。・・・その動作は押圧法の『全ての基本』を無視しているかのごとく見えてしまいます。基本を積み上げない限り、見様見真似では絶対に習得できないばかりか、押圧操作の全てを破壊します。長年にわたり・・・メンバーを破壊から守るために、常に、『隠すという意識』を持ち続け、身体の無意識動作を抑制しました。数十年も身に付いた身体の無意識動作を抑制することは容易ではありませんでしたが・・・
諸君の前で、従来とは異なる操作が出現すると思われます。しかし、これらをスタッフ養成講座受講生諸君が見様見真似で覚えれば、諸君には基礎の崩壊が待っています。
〔指圧研究会・咲晩〕メンバーにも厳重注意を行ないますが、受講生諸君にも厳重注意を呼びかけます。スタッフ養成講座受講生諸君。受講中に受けた『個人的』指導や注意以外は学習しないでください。技術は『下を見て積み上げるものです』、予習は不要です。
困惑したのは〔指圧研究会・咲晩〕メンバー
教師猫の“見様見真似では絶対に習得できないばかりか、押圧操作の全てを破壊します”という警告に最も困惑したのはスタッフ養成講座受講生諸君ではなく、〔指圧研究会・咲晩〕メンバーのようです。彼らは数年にわたり教師猫から直接指導を受け、スタッフ養成講座においては受講生諸君の講師を務めています。教師猫には、“束になっても子ども扱い”なのですが臨床現場においては“他から一目を置かれる”技量を発揮しています。さらに、毎回異なる技術を加速度的に指導され、『研究会を1回欠席すると悲惨』『習練を怠れば地獄』を合言葉に、泣きながらお互いを励ましあいながら習練を積んでいます。ですから、彼らの押圧操作は半年前と比較しても、別人のように飛躍的に向上したと自他共に認めることができます。スタッフ養成講座で講師を務め、職場の同僚や患者さん達から一目を置かれる技術を習得したと自負した矢先の、教師猫の警告。困惑も無理からぬことでしょう。
上を見ると困惑します。・・・下を見て確実に基礎を積みなさい。
基本の基礎と基本の有様
基本の基礎とは、その上に基本が成り立つ土台となるものです。成り立つ物と土台の間に理論的あるいは実践的な矛盾が生じていては“基本の基礎”が完成したとはいえません。
押圧法の基礎作りの一つに、『指作り』があります。『指作り』が完成し、『手指操作』の基本を学ぶのが順序です。『指作り』が未完成のまま、『手指操作』の基本を学ぶのは理論上は無理が生じます。しかし、実践は『指作り』の完成とは程遠い状態から、『手指操作』の基本を学ぶことになります。そこで、養成講座では、〔ボールとビー玉〕による時間や場所を選ばない“指作りの訓練法”を取り入れ、基本の基礎と基本の習得を可能なものとしています。
基礎や基本の有様には独自の性質があります。絵画などの“デッサン”もその一例です。作品の良し悪しは、“デッサンで決まる”ともいわれますが、完成した絵画の“デッサン”は絵具に覆われ、誰の目に触れることもなく、姿を消してしまいます。
隷書(れいしょ)と草書
“楷書”と呼ばれる、漢字の書体がありますが、隷書(れいしょ)と呼ぶこともあるそうです。点画をくずさない書き方だから、(無学な)身分の低い者にもわかるという意味だそうです。“楷書”をくずした書体を“行書”と呼び、“行書”をさらにくずし、点画を略したものを“草書”と呼びます。隷書の意味が示すように、無学な者には“草書”を読み解くことはできません。しかし、いかに身分が高くても、いきなり“草書”を読み書きすることは困難だと考えます。草書の習得は、“草書”を見よう見まねで覚えるのではなく、“隷書”から行書、さらに草書と習練するのが適していると考えます。
基本の基礎の運命は
押圧法の基本の基礎の運命は、絵画のデッサンや漢字の点画のように消えていきます。〔足趾操作〕までの技術が一定基準に達すれば、“支点や力点を定めない”腕力が不要となる操作が加わります。支点や力点を定めない操作は、押圧理論では非必須となりますが臨床現場では必須アイテムと考えます。書体に例えるなら、〔足趾操作(加圧動作)〕までが隷書です。支点や力点を定めない操作が加わることで、点画をくずした行書さらには略した草書と考えます。基本の基礎の運命は、絵画のデッサンや漢字の点画のようです。