07・教師猫は、〜ません(3)
申し遅れましたが、教師猫の“猫をかぶっている”といいますか・・・。教師猫の基本人格?の核ともなっている、指圧治療院ひらしまの院長である平島利文の“名刺”を掲示します。
郵便番号と住所地以外に変更もなく、四分の一世紀ほど使い続けている名刺です。
開業時に〔自己紹介〕の欄に記入した“分別なき説教魔”。いまだに脱皮できていません。
怒りません。
写真を紹介できないのが残念ですが、かなり怖い顔をしていると言われます。直ぐ怒られそう、だそうです。しかし、現実には患者さんや〔指圧研究会・咲晩〕等のメンバーに対して、教師猫が『怒りの言語』を発することはありません。もちろん、教師猫が聖人君子なはずはありません。このことも、長い間の慣習に培われ、いつしかルールとなってしまいました。
教師猫は個々の患者さんと様々な内容の決め事(契約?)をします。これは教師猫が患者管理の為に提案し、患者さんから同意を得られた場合に行ないますが、患者さんの一方的無条件解約が可能です。その中に、教師猫が患者さんの行動を“監督指導するか否か”という項目もあります。教師猫が逆の立場なら“とっくにキャンセル”する、この項目を希望し毎回説教され『叱られる』患者さんも少なくはありません。このように、『叱る言語』を発することは、臨床現場に身をおく治療家の 常ですが、自らの感情を荒げる『怒りの言語』は生じません。治療家が患者対応法に試行錯誤し悩むことはあっても、自らの“感情移入”や怒りをぶつけることなどありえないのです。〔指圧研究会・咲晩〕メンバーに一言付け加えれば、「君たちの現状レベルは、教師猫を悩ませても教師猫の感情を乱すほど高くはありません」
おまけとして、教師猫の怒りの言動を追記します。教師猫に『怒りの言語』はありませんが“怒りの行動”はあります。それは“何もしない”言い換えれば、関わらないという行動です。怒りを抱く相手とは、断絶し関わらないことが教師猫流の“怒りの行動”です。
思想や倫理は説きません。
教師猫は説教はしますが、思想や倫理は説きません。教師猫は臨床現場の治療家です。治療家の役割は、人を『人倫の道』へ導くことでなく、患い人を健康にし、“その人らしさ”を育てることだと認識しています。まず、その人らしい安堵の笑顔を導くことに努めます。
時折、教師猫は患者さんに「現在のあなたは、本来のあなたらしくはない」と言い切ります。患者さんは、いぶかしげに「本来の私らしさとはなんですか」と教師猫に聞き返してきます。教師猫は胸を張り「本来のあなたらしさを、わたしに尋ねても、私にもわからない」と自信を持って即答しています。「フザケルナ」と読者に叱られそうですが教師猫は大真面目です。
教師猫が患者さんに「現在のあなたは、本来のあなたらしくはない」と大真面目に宣告するのは、教師猫の指が明確に、患者さんの体調不良(他覚的異常)を捉えているからです。常人であれば、体調不良時に健常時の能力を求めることは困難であり、『本来のらしさ』が発揮されるのは、体調不良(他覚的異常)が改善され、笑みが出てからと考えるからです。
愁訴改善のための禁止事項を禁止しません。
疾病治療の過程において、禁止事項は数多くありますが、愁訴改善のための禁止事項を教師猫が禁止することは稀です。理論的には疾病治療の過程において、それらの妨げとなる行為を禁止することは重要だと考えます。しかし、医学的には論拠がある禁止事項であっても、患者さんにとって抽象度が高いものや立場上現実的には履行が容易ではない内容が少なくはありません。具体的内容は略しますが、疾病治療目的ではなく、治療家の自己弁護を目的として告げられたのではないだろうかと感じられる内容もしばしばです。
〔・・・ここまででは意味不明ですか?反響により続きは検討します。〕