教師猫ってどんな猫(2)
学生時代は?
ローランさん。よくぞ聞いてくれました。学生時代は、学業優秀・品行方正・全て順風満帆・幼い頃よりカリスマが当然でしょうと胸を張りたいのですが・・・教師猫調査員の“えのき”が既に教師猫の両親を始めとした複数の人物から調査済?!なので・・・正直に告白します。教師猫には無配慮な友人が多すぎる。ナンデモカンデモ面白半分に“えのき”に告げる・・・
幼児期から虚弱で、小中学時代には小児喘息や赤面恐怖症と共同生活をしていました。常に自分の気持ちを理解してくれる人を求め、嘘でもいいから『お前の気持ちがわかる』と言ってくれる人を待ち望み、『お前の気持ちがわかる』と言われるとその人を完全否定していたように記憶しています。少年時代の教師猫に同級生や知人という用語はありましたが『友人』といった言葉は、存在しなかったように記憶しています。少年時代の教師猫が人を“疑った”ことはなかったように記憶しています。疑わなかったのは“信じなかった”ためだけではなく、信じる必要性や裏切と感じる事象が生じることがなかったように記憶しています。教師猫は少年時代の思い出を明確な記憶さえも“~のように記憶しています”と語ります。
ローランさんの問い(指圧学校時代)に答えます。学業は、“実技を除く”という条件付きで優秀といえます。実技点数は、二年間を通して赤点ギリギリでした。自己評価が不可となる品行については、同級生に委ねます。しかし、教師猫の学生時代の修業年数は二ヵ年で各人が授業開始直前に教室に入り、授業終了と共に帰路に着くのは現在も同じでしょうが教師猫と同じ組の卒業生だけでも75名います。夜間部の寮生として、昼間は2Fの治療室勤務を行い授業終了後は各教室の戸締り等の見回りや構内や風呂等の掃除当番があり門限9時の寮生活を送っていた教師猫には数人を除けば顔見知り程度の関わりでした。浪越徳治郎先生への連日の施術の件は親しい級友にも秘密にしていました。
暴露犯
当時、浪越徳治郎先生を教師猫が連日治療していることを話題にされたのは実技教諭の門間英雄先生と事務所の堀武治郎氏、それに治療部の小沢春枝先生の3名程度でした。寮生をはじめとし、その他の先生方から直接に問われたことは一度もありませんでした。
教師猫が浪越徳治郎先生から実技指導を受けているだけでなく、継続的に“施術料金”を頂いていたことを明確に覚えているのは、同期の寮生で当時は事務所勤務を行っていた○○先生唯一人のようです。かつて、当時のことを知るはずのない後輩から『先生は浪越徳治郎先生に治療代を払わせたそうですね』と具体的な金額まで告げられ、驚いたことがあります。教師猫の秘密を具体的に、あちこちで“暴露している犯人”は彼のようです。
彼とはすでに25年以上の付き合いになりますが、いまだに『会長(浪越徳治郎先生)から(教師猫を)呼んでくるように命じられ、周りに気づかれないように学校中を探し回るのには苦労した』『自分も会長には感謝しているけど、(教師猫は)自分の百倍感謝しろ』と言われ頭が上がりません。浪越徳治郎先生には学生時代のみならず、知り合って他界されるまで20年数年にわたり特別なご指導と関わりを持たせて頂きました。既に故人となられました元日本指圧専門学校校長(浪越徳治郎先生のご長男)浪越徹先生からも特別な関わりを持たせて頂きました。現在でも、浪越本家からは身にあまる特別な待遇を受けております。
学生時代に教師猫が浪越徳治郎先生との特別な関係による周りの人との具体的な軋轢(あつれき)を感じたことはありません。話題は愚か問われることさえもなかった事柄です。思い起こせば、浪越徳治郎先生との特別な関係を原因とするのではと推測される様々な出来事がありました。しかし、そのことを軋轢(あつれき)と感じることはありませんでした。教師猫の生い立ちが最大の原因ですが『仲良し』を知らなかった教師猫に当時『不仲』とか『いじめ』といった感覚はありませんでした。現在、数多くの事象を加味して判断すれば、教師猫は浪越徳治郎先生との特別な関係により関係各位から軋轢を受けたのではなく、浪越徳治郎先生との特別な関係により関係各位に多大なご迷惑をかけたと考えています。近年、関係各位の方々に、遅ればせながらも“感謝の意”を伝えていることも事実です。
密会の現場写真
教師猫は、日本指圧学校(現日本指圧専門学校)を卒業後も頻繁に上京し(年10回程度)浪越徳治郎先生から直接ご指導を受ける機会を与えていただけました。事務所の担当者から教師猫治療室の次回休診日を問い合わせる電話があり、“次回の休診日”を答えると『当日は上京しなさいとの校長先生(浪越徳治郎先生)の伝言ですよ』と一方的に伝えられ『先生はご不在です。とにかく私は伝えましたよ』と返答する間も無く電話を切られました。
〔お別れですか〕の開口一番にも記載しましたが浪越徳治郎先生と教師猫との特別な交流は守秘事項でした。ある時、浪越徳治郎先生の内輪の人から『誰にも内緒で出かける』と在らぬ噂を聞かされたこともあります。写真は某年1月の日本指圧協会主催の“新年会”に参加する前に密会をしていた証拠写真です。新年会の受付時間が迫っていたので『先生、お時間です』と申し上げると『受付時間は○○時』と言われ、従った結果は“30分の遅刻”となってしまいました。『常に時間に正確な先生が時間を過ぎてもおみえにならない』さらに、『何処へ連絡しても連絡が取れない。誰に聞いても所在もわからない』という事態となって、関係者は大慌て、そこへ平然とタクシーを降りたのですから・・・『お前が付いておきながら』『何かあったのかと心配したじゃないか』『遅れるなら遅れると連絡しろ』と教師猫の発言は一方的に制され、浪越徳治郎先生には何も言えない××先生の鬱憤が降り注ぎました。会場の隅から、こっそり入場した教師猫に『今年は、おみえになるのが遅かったんですね』『浪越徳治郎先生もまだですよ』と声をかけてくれた△△先生・・・実はこういうことでした。