抗重力ブラ 詳細・2
ブラジャーの歴史
女性の胸部を覆う、ブラジャーのような下着の起源は古く、古代ギリシャ時代(紀元前2000年)には、既に使用されていました。当時は、ゾナと呼ばれる一枚の布で構成され、女性の胸部を覆い隠す目的で使用されていたようです。
1913年に現在のブラジャーの形状に近いものが、メアーリー・フェルプス・ジェイコブ(Mary Phelps Jacob)により特許されています。また、これは「フラットナーズ(flatteners:平らにするもの)」とも呼ばれ、ハンカチとリボンで構成され、「乳房を目立たせてはいけない」という当時の習慣に従い、乳房を扁平に押さえつける目的で使用された、シンプルな構造のものでした。
その後、第一次世界大戦がきっかけとなり、欧米の軍事工場において、女性の乳房が作業の邪魔にならぬようにと、作業効率を高める目的で乳房を固定化する機能を付加したブラジャーを半強制的に着用させられ、女性のブラジャー着用が一般化しました。
日本でも、1929年に乳房を覆い隠す目的のブラジャーが「乳バンド」の名称で新聞広告に登場しています。使用目的に、乳房を強調し、女性らしさを表現する機能が付加され、ブラジャーに乳房の保形や補整機能等が求められるようになったのは、第二次世界大戦以後のことです。1949年には、日本でも乳房の強調を目的として、スプリングを使用した商品が国内メーカーから発売されています。
少し寂しいのでは
日常の決まりきった行いである“習慣”が、支配者によって定められ、その内容が支配者と被支配者の比率により変化することは、実に面白く、治療家としての興味は尽きません。
特に、支配者の比率が低い時代は、若さを軽んじ、あるいは封じ込める社会的思想が根底にあり、これらに伴う健康被害は、軽視または考慮されなかったように思えてなりません。
支配者と被支配者が同率に近づいた現代においても、健康被害を伴う習慣が、単に習慣という理由だけで、脈々と受け継がれることはいかがなものでしょうか。
服装(衣服圧)によって生じる慢性的刺激の身体への影響を考慮せずに、『朝ニ見テ、夕ベニ見テモ変ワラネド。イツノ間ニヤラ、婆ニナリケリ。』となってしまっては、少し寂しいのではないでしょうか。