11・指圧は芸術なり
『指圧は芸術なり』。師匠、浪越徳治郎先生の言葉です。徳治郎先生が創始された押圧法(指圧)は、国がその効果を認め法制化した手技です。この疾病治療の手技に、如何なる芸術性が存在するというのか。何ゆえに、徳治郎先生が残された『指圧は芸術なり』という言葉を名言と称賛し、教師猫が伝えたいのか。指圧技術に求められる“芸術性”について教師猫流に独断で解説します。途中、自慢話を含みます。不快であれば閉じて下さい。
師匠、浪越徳治郎先生の言葉
芸術とは
指圧の芸術性を語る(考える)前に、『芸術とは何か』を教師猫流に定義し、概説します。
ピアノの“ド”の音の鍵盤を叩けば、“ド”の音がでます。当然“ド・ミ・ソ”と叩けば“ド・ミ・ソ”の音がでます。ピアノはその様に作られた楽器ですから、目的の鍵盤を叩けば、目的の音を出すことができます。ピアノの鍵盤を叩くことは誰にでもできることですから、ピアノは誰にでも弾けます。しかし、その叩き方の技術差により、奏でた曲には著しい優劣が生じます。このように、誰にでも出来る操作(行為)で、結果に優劣が生じるものを、『芸術性を含む』あるいは『芸術となりうる』と教師猫は定義しています。指圧操作も“誰にでも出来て、結果に優劣の差が生じる”という、『芸術性を含む』または『芸術となりうる』条件を満たします。
10年早い
楽譜が読めないどころか、ピアノなど触れたこともない教師猫が、ピアノ演奏について云々すれば、「10年どころか、100年早い」と言われそうです。数年前、絵画の感想を無理に求められ“感じたまま”を正直に答えたら「少し、絵画の勉強をしてから、評価してください」といわれて懲りたことがあります。絵心のない(ズブの素人の)教師猫の評価は、専門家にとって、評価に値しない評価なのでしょうが、教師猫だって、“感動する”こと位はできます。
真の芸術
教師猫は、「指圧を10年勉強すると、教師猫の指圧技術レベルがわかる」とは言えても「あなたの指圧認識が低すぎるから、教師猫の指圧効果を理解できない」とは言えません。
誰にでも、容易に出来る操作(行為)で、結果に優劣が生じるものを、『芸術性を含むもの』または『芸術となりうるもの』と言えると考えています。しかし、真に“芸術”と呼べるものは、“そのものへの認識さえない人々に、無条件で感動を与えることができるもの”と考えます。
指圧認識は皆無。『治療』という意識さえも全くない、重度の脳性麻痺児が笑顔をくれます。指圧は、無認識の人々も“感動”を与えることができる、『真の芸術』です。
芸術の料金設定
社会に様々な料金の設定法がありますが、当事者同士が納得することは基本原則です。通常、提供する側の原価に利益を加え、提供を受ける側に承諾を得る方法を用います。当然、原価コストの高い方が高価格に設定されますが、『芸術』の料金設定は異なります。『芸術』は“芸術的価値”が全てで、これほど制作原価が無視されるものは少ないでしょう。
絵画の価格は、看板の制作費とは異なり、その材料や制作時間が価格に反映されることはありません。絵画(芸術)の価格を定めるのは経過ではなく結果の価値です。教師猫は芸術品の価格はその作品の“芸術的価値”が全てで、『作者名』さえも無関係と考えます。
『指圧は芸術なり』。これは、師匠・浪越徳治郎先生の信念の1つです。教師猫は、芸術である指圧の対価(料金)は“経過ではなく結果の価値”で定められるべきであると考えます。『あなた自身は、あなたの知識と技術を駆使した指圧結果に、いくらの対価を払いますか』自問自答してみて下さい。対価を患者さんの感謝と笑顔と共に胸を張って受け取るため、“あなたの指圧”の芸術性を高めて下さい。現場で受け取れるのは“結果への対価”です。
回顧録
ページ上部に掲載した色紙は、20年以上前に『為書色紙を治療院に飾りたい』とお願いし毛筆で書いていただいたものです。しかし、私は勝手に先生との“約束を破り”、現在まで治療院には一度も飾らずに、机の中に保管しています。本来ならば、大意張りで治療室に飾るのですが、どうしても治療室に飾れませんでした。理由は為書きの“さん”にあります。
徳治郎先生は、「失礼があってはならない」と何方に対しても『為書色紙』を書かれる場合、必ず“さん”と書かれました。これは、如何に目下の人物に対しても変わらない先生の信念でした。しかし、このことは“弟子の身”の私には耐えられない辛さでした。事あるごとに、『君の為書色紙』をお願いしました。結果として、私の手元には何枚もの『さんの為書色紙』が届きました。私は意を決し、1996年4月11日、先生に直談判いたしました。
師匠との直談判-概要
1996年4月11日教師猫の治療院にて
教師猫 | 先生。先生から内弟子証明書を頂いた時、今までに証明書を出したことは ないと伺いましたが、その後、何方かに証明書をお出しになりましたか。 |
師匠 | (内弟子証明書を発行したことは) ないよ。 |
教師猫 | 先生から在学中は連日。卒業後も毎月(上京して)15年以上の個人指導を頂いております。現在、お側には居りませんが、内弟子と自認しています。 |
師匠 | ・・・。 |
教師猫 | 折につけ、先生には色紙をお願いしました。頂いた色紙は既に百枚を超えています。その間に私宛の『君の為書色紙』を何度もお願いしました。しかし、いつも手元に届いた『為書色紙』には“さん”と書かれておりました。 |
師匠 | それは・・・。 |
教師猫 | 先生が何方に対しても『さんの為書色紙』をお書きになることや、その理由も十分に存じ上げております。先生の信念の固さも・・・存じております。 |
師匠 | ・・・。 |
教師猫 | 先生から私への『為書色紙』に“さん”と書かれると、私は惨めでなりません。先生の「先様に失礼がないように」と目下の方に“さん”と書かれる配慮は、内弟子証明書を頂いた弟子にとっては、ただただ淋しいだけです。 頂いた何枚もの“さん”と書かれた『為書色紙』ですが、最初の一枚を残し、 その都度、その都度、悲しくて破り捨てました。 先生が私を内弟子と認めていただけないのなら、『内弟子証明書』を先生の手で破り捨てて下さい。『君の為書』を書いて頂けない内弟子なんて・・・。 |
師匠 | ・・・ もう言わなくていいよ。 わかったよ。 |
教師猫 | ありがとうございます。 |
『君の為書色紙』
師匠の気が変わらぬうちにと、“一指万物を生ず”という『君の為書』もお願いしました。
現在、2枚とも額に入れ、教師猫の治療室に飾っています。