性格について
血液型と性格は、関わりがあるのでしょうか。血液型とは、古くは、赤血球膜に存在する遺伝的多型を呼んでいましたが、近年では、あらゆる血液成分の示す、遺伝的多型を総称して呼んでいます。血液型(血液の分類法)の中で最も一般に知られている『ABO方式』は、血球凝集反応により、その種類を分類する、単なる血液型の一分類法です。多少重複しますがRH方式はアカゲザルの血清に対して凝集するか否かで判定します。血液型(ABO方式)による性格判断なるものが云々されますが、混血を繰り返した結果として日本民族にA型・B型・AB型さらにO型が比較的均一に分布しているに過ぎません。混ぜ合わせて固まるか否かという性質と個人の性格とは全く無関係です。
そもそも、性格とは、思考法や行動などによって特徴づけられる、その人独自の性質を表わすもので、血球凝集反応で決定されるものではありません。さらに、比較級用語の表現は、比較する対象により、結果は著しく異なります。
人の心はドーム(塔)の中心に隠されたコア(核心)に似ています。このドームにはたくさんの窓があり、その窓にはそれぞれの名札(立場)が付いています。相手は、その人を自分と関わる名札で呼び、その人は、呼ばれた名札と相手の名札との関わりで、言動を選択します。ある宗教家が信者に「罪を償った人を差別してはいけない」と説いています。ある日、彼の娘が「結婚したい彼は前科3犯」と告げました。彼は断固として認めません。どちらが彼の本音なのでしょうか。どちらも本音でしょう。信者には宗教家としての本音で語り、自分の娘には父親としての本音で対応したまでだろうと考えます。
幼児向けの絵本などで一般的に表現される動物の鳴き声の多くが侵入者に対する警戒や仲間に危険を伝える声です。平常時や穏やかな時の鳴き声と非常時や警戒時のそれらを区別して説明されることは少ないようです。確かに威嚇してくる動物に対しては注意を必要としますが、威嚇行動をその動物の全てのように決め付けることは誤りだと考えます。 時として、患者心理も似ています。自分自身の疾患や治療に対する治療家への不安(疑心暗鬼)による言動をそのまま映すと思わぬ誤解が生じます。
相手(患者)をある程度把握するまでは治療家の意見や感情表現を控えることも大切となります。
性格と判断されるもの。その多くはその時発せられた感情の一部であることも少なくありません。
性格とは単なる比較表現の結果や傾向に過ぎないと考えてください。自分自身の性格も同様です。
不変の何かが存在しているわけではないと考えます。
相手の性格(傾向)以上に、相手の言動はこちらの対応に由来すると心得て下さい。
たとえ性格情報が事実でも共有できるとは限りません。極端な例えですが“近所の方”から提供された『隣の犬』の情報は共有ができても、“飼い主”から提供された情報には共有し活用すると危険な場合があります。隣の犬があなたにいかに対応するかをあなた自身が見極めて行動すべきと考えます。