お別れですか
お別れですか
お別れですか 投稿者:たまねぎ 投稿日:2004/09/01(Wed) 00:23 No.270
「お別れです」を一通り読んだ感想と質問を記します。箇条書きですが、お許しください。
このHP自体は今後も続くと思うのですが、そうするとどのような形式、内容のものになっていくのかな?と思いました。押圧法に対する心構えがない人には情報を開示しないということでしょうか。
押圧法の説明については、今まで教えていただいている通りなのでそのまま受け止めています。いままで圧迫法をやっていて、記事を読んだだけの人はたぶん、もうこのHPは見ないと思います。生活できるだけの収入がある人は無関心を装うと思います。
いままで習っていた(やっていた)ものが圧迫法だと気付いた人は、戸惑うと思います。そのなかには押圧法を志そうとする人もいるでしょうが、このままHPをうまく利用して知識を得られれば儲けもの、しばらく様子を見てから・・・という人が圧倒的だと思います。 そして、突然お別れですと宣言されて、(つまりはもう情報を得られないと判断して)何人かは真剣に考えてスタッフ養成講座に申し込みをするかもしれません。でも、それはまだやり直しのきく学生か、卒業生ですでに働いている人であれば、かなり本気で取り組もうとしている人と考えます。
よろずや掲示板に、押圧法に対する誹謗中傷が載るようなことはないでしょうか。
はっきりとこちらのスタンスを示したために、攻撃してくる人もいると考えます。
ネットの匿名性によるものと考えます。
2ヶ月あまりでこのような形でお別れです宣言をする背景には何があったのかな?と気になります。googleで押圧法を検索してみました。一番最初に脳性小児麻痺児の指圧教室がありました。つぎにはケイラクのHPがあり、ここでは漸増押圧法と記されていました。そのほかにも押圧学院といったHPなどもあり、玉石混交しています。圧迫法をしている人からすれば、押圧法といったところで、このHPは実際どうなの?という感覚を持つ人もいると思います。
やはり、直に指導を受けられることが如何に貴重なことかを実感しております。
HP上では、文字と写真で構成され、しかも誰でも簡単にアクセスでき、また営利目的の宣伝行為のものが多いことから、その価値は相対的に低くなってしまう感があります。
蛇足かつ、失礼を承知の上で書き込みしました。どうぞお許しください。
Re: お別れですか 投稿者:教師猫 投稿日:2004/09/01(Wed) 13:42 No.271
たまねぎさん。質問をありがとう。
>蛇足かつ、失礼を承知の上で書き込みしました。どうぞお許しください。
今後、このようなお気遣いは無用に願います。もっと気楽に自由に書き込んでください。
>このHP自体は今後も続くと思うのですが、そうするとどのような形式、内容のものになっていくのかな?と思いました。押圧法に対する心構えがない人には情報を開示しないということでしょうか。
このHPは始まったばかりです。なのに、一部の方とお別れするのは「押圧法に対する心構えがない人には情報を開示しない」のではなく「押圧法に対する正しい認識がないと混沌とする」からです。
>押圧法の説明については、今まで教えていただいている通りなのでそのまま受け止めています。いままで圧迫法をやっていて、記事を読んだだけの人はたぶん、もうこのHPは見ないと思います。生活できるだけの収入がある人は無関心を装うと思います。
>何人かは真剣に考えてスタッフ養成講座に申し込みをするかもしれません。でも、それはまだやり直しのきく学生か、卒業生ですでに働いている人であれば、かなり本気で取り組もうとしている人と考えます。
そうあって欲しいと考えています。
>よろずや掲示板に、押圧法に対する誹謗中傷が載るようなことはないでしょうか。
はっきりとこちらのスタンスを示したために、攻撃してくる人もいると考えます。
ネットの匿名性によるものと考えます。
誹謗中傷を好むわけではありませんが、望んでいるのかも知れません。
なぜでしょうか? 投稿者:たまねぎ 投稿日:2004/09/02(Thu) 09:57 No.272
教師猫さまお返事ありがとうございます。
>誹謗中傷を好むわけではありませんが、望んでいるのかも知れません。
誹謗中傷を望んでいるのかもしれないとありますが、どういうことを意味するのでしょうか。
普通の感覚なら、他人が悪口を言っているのは聞きたくないと思います。掲示板でネチケットが守られるのは健全なことだと思うのですが・・・。
Re: なぜでしょうか? 投稿者:教師猫 投稿日:2004/09/02(Thu) 13:50 No.273
たまねぎさん。
たまねぎさんだけでなく、教師猫を案じてくれる人達の感情を逆なでするような表現でごめんなさい。
教師猫が争いを好むわけではないのに誹謗中傷を望む理由はレイの場所に書き込みます。
それまで待って下さい。
ネチケット・・・ネットエチケットという意味なんだそうですね。えのきに大笑いされた教師猫でした。
お答えします。
スタッフ養成講座の途中で突然"お別れです"と宣言し、掲示板への書き込みには"誹謗中傷を望んでいる"等と『指圧研究会・咲晩』スタッフを始め、押圧法を真剣に学ぶ人たちを混乱させる表記を行なった理由について、教師猫の被り物を脱ぎ、押圧法創始者浪越徳治郎先生より個人的な弟子として『内弟子証明書』を拝受した平島利文個人として答えさせていただきます。
説明が順不同となることはお許し下さい。
徳治郎先生を指圧の創始者ではなく押圧法の創始者と呼ぶことは様々な非難を浴びると考えます。さらに徳治郎先生が終生『指圧』と呼ばれた手技を押圧法と呼ぶことは、弟子として罪悪感以上の心苦しさがあります。しかし、現在の "指圧認識"からは徳治郎先生が創始された手技の独自性が失われていると考えます。徳治郎先生が創始された独自の手技を手法の名称である『押圧法』という名称で呼び、他と区別することにより手技の独自性を守り継承していきたいと考えます。
当ホームページの"咲晩スタッフ養成講座"は咲晩スタッフが主催するスタッフ養成講座受講生のための資料であり、受講生が自由に参照できることを目的としています。もちろん副産物として押圧法や指圧研究会・咲晩の宣伝効果も期待しております。現実に、受講生以外の方々のアクセスが増え、特に圧迫法関係者の皆さん方の間で物議を醸しだしているようです。なかには、習得していた手法が圧迫法であることを気づかれた方も少なくないようです。今後も当ホームページでは押圧法の詳細を説明していきます。当然ですが押圧法は"押圧法の基礎"を必要とします。押圧法を圧迫法の基本の上に築くことは不可能で危険なのですが、押圧法と圧迫法を区別できない方ほど、このことを理解していただけないのです。当ホームページを順にここまで読み込まれれば、押圧法に対するイメージ的認識は学習していただけたと判断します。押圧法を習練する意識のない方がこれ以上深入りされても、ご本人のためにも私たちのためにも『百害あって一利なし』と考えます。そこで、押圧法を習練する意志のない方へお別れ宣言をさせていただきました。
>よろずや掲示板に、押圧法に対する誹謗中傷が載るようなことはないでしょうか。
>はっきりとこちらのスタンスを示したために、攻撃してくる人もいると考えます。
>ネットの匿名性によるものと考えます。
すでに、指圧研究会・咲晩スタッフや養成講座受講生あるいは受講希望者の耳に誹謗中傷は届いています。しかし、その内容の多くは押圧法に対するものではなく、私個人に向けられた物です。
現在、徳治郎先生が創始された手技は専門学校の教科書でさえ『指圧(押圧法)』という名称記載のみで、その定義や独自性に対する説明を見出すことはできません。この原因には法制化レベルの様々な事情で徳治郎先生ご自身でさえ(封印され)公には語られなかった理由が存在します。
法制化より半世紀が過ぎ、当時の事情を知る人も少なく、語り継がれることもない『法制化による指圧の悲劇』。今、時の流れに任せておけば、語部を失った押圧法の文字は無意味なものとして教科書から削除され、徳治郎先生が創始された手技は葬り去られてしまうと考えます。
押圧法は平島流?
押圧法を『平島流』とか『平島新流』と語られる方もあるそうです。おそらく、その方々は徳治郎先生から直接のご指導を受けられたことはないのではないかと憶測します。かつて、指の光に『指圧認識』と題して数回投稿いたしました。その内容に徳治郎先生を偲ばれた大先輩から公表をはばかる程の賞賛のお手紙を頂きました。逆に親しい指圧師から「我々が苦労して会長から盗んだものを…軽々しく公表するな。記事の一部さえ簡単には教えてはもらえなかった内容だ。ほんの一部を秘伝として後生大事に守っておられる先輩も少なくない」という強烈な溜息交じりの非難も浴びました。
彼をなだめるのに「読んでも理解できないよ」と言った言葉に心寂しさを感じました。
為書に対する信念
徳治郎先生のサインを希望された方は多く、『為書』にも快く応じられました。時には "おせば生命の泉湧く"という大切なスローガンさえ、気軽に『飲めば生命の泉湧く』と書き換え署名されました。「品がない」と非難されても「話題になるから」とお笑いの番組にも出演され、『元気の出るオッサンハッハッハー・・・ジェットなみこし』などというユーモラスな色紙も書かれました。しかし色紙を受け取る相手が幼児でも指圧学校の学生でも、必ず為書には『○○さん江』と書かれました。相手の立場に関わらず『○○さん江』と書かれるのは「受け取って頂いた方に失礼がないように」という配慮だけではなく"人を人として尊ばれる"先生の信念でした。
カメラマンとしての活躍
徳治郎先生に(写真や色紙を)「お願いします」「もう、ずいぶん溜まっただろう」「いえ、今日は初めてです」という応答が常となっていました。パーティーの席などで見知らぬ方々から「△期卒業の○○と申します。徳治郎先生との写真をお願いします」と依頼されました。私に声をかけた人たちは、私をカメラマンと間違え『あのカメラマンに頼むと徳治郎先生とのツーショットや色紙が手に入る』という話が流れていたそうです。数年後、本物の専属カメラマン(故人)から聞かされ、その後は先生から同意をいただいた写真のみを差し上げるように自粛いたしましたが、正直、先生にお願いして撮影した写真や書いていただいた色紙の枚数は把握していません。私の独りよがりの自惚れに駆られた行動で先生には随分ご迷惑をおかけいたしました。
破り捨てた為書色紙
私自身も文面の異なる『為書色紙』を"あの手この手"でお願いしては何枚も書いていただきました。しかし、実は、何枚も書いていただいた『為書色紙』の大半を私は自分の手で破り捨てました。
前記しましたように、先生は私のサイン依頼や希望の文面に気軽に応じていただけました。しかし、落款(印)をお願いすると「落ち着いて書くから」とその場では書いていただけませんでした。後日、送付された為書色紙に、私が希望する二文字はありませんでした。『寂しさとため息で色紙を破り捨て、また機会を狙ってお願いする』そんなやり取りは15年以上も続きました。
開口一番
1995年9月「先生1~2ヶ月上京できないかもしれません」「う~ん、どうして」「治療院を引っ越します」「東京へかい」「いえ、近くです」「引っ越したら知らせなさい」。10月末に引越し完了を報告すると「来月、皆がオーストラリアに出かけるから、その時遊びに行く」とのご返事。結果的に先生はオーストラリアで開かれた指圧の国際大会に出席されましたので来院はキャンセルされました。後日談で、先生は「当日は用がある」とオーストラリア行きを強く拒まれ、理由や場所を問われても「とにかく出かけなければならないとこがある」の一点張り、関係者の方々が肝を冷やされたと知りました。オーストラリアから帰国後「すぐに見に行くから」とのご連絡。「寒い季節ですから、暖かくなるまで待ってください」と申し上げると「寒さは平気だ」とのご返事。「引っ越したばかりですから、もう少し落ち着くまで待ってください」とお願いし翌年の4月まで来院を待っていただきました。当日は午前10時ごろ浜松駅に出迎え、午後6時ごろお見送りいたしました。「平島先生、昨夜は一睡も出来ず、眠くて仕方ないよ。(徳治郎)先生は『明日は早いから早く寝る』とお休みになったのはいいが『まだか、まだか』と一時間おきに起こされた。『時間には起こすから』と言っても聞いてはくれなかった。お陰で一睡も出来ず、眠くてたまらない」とは同伴者の開口一番の弁でした。
膝を交え
先生と膝を交え"じっくり"と話をさせていただいたのは、久しぶりでした。「為書色紙に"相手の立場に関わらず『○○さん江』と書かれる"のは、先生に『相手を軽んじない』という信念がおありになることは熟知しています」「先生は20数年前、私に"内弟子証明書"を与えられました。『腕がいいのが弟子の証拠、証明書に頼らず、腕を磨きなさい』と常々仰っているのも存じております」「この証明書は重過ぎます」「為書に『平島さん江』と書かれると、先生との距離を無限に遠く感じます」「今まで書いていただいた『為書色紙』の大半は破り捨てました」「もし、今、先生が私を弟子として相応しくなと判断されるのなら、無意味な『内弟子証明書』をこの場で破り捨てます」「もし、先生が私を弟子、できの悪い弟子とでも認めていただけるのなら、為書に『君江』と書いてください」
自慢と証明
自慢と証明は異なると考えます。押圧法が平島流ではなく、徳治郎先生が創始された独自の手技であることを証明するのに、私と先生の関わりを抜いては説明に困難を生じます。『誹謗中傷を好むわけではありませんが、望んでいるのかも知れません』と書いたのは、自らでは語りにくい内容を誹謗中傷されたことを口実に詳しく書けると考えたからです。
お詫び
説明が順不同ばかりか、脱線してしまいました。お詫び申し上げます。
今日までHPの反響に不安や誹謗中傷を恐れた感があり、意図として様々な説明を抽象的に留めた部分があります。今後はより具体的説明に心掛けようと決意を新たにした教師猫です。
押圧法では器用さや優れた体力を必要とはしません。"継続は力なり"この一言です。